My bro

兄ちゃん。私の4歳年上の兄。

私が保育園に通っていた頃は仲が良かった気がする。そう考えるに至るエピソードが1つある。母(だったと思う)に2人して叱られた時、「隠れろー!」とケラケラ笑いながら、寝室の、私たち2人のおもちゃ箱とブランケットを積んでこたつに見立てたものに駆けて行き身を隠した。

関係が悪化してからの小学生低学年時では、同じ団地に住んでいた見知らぬ同世代の子供が無断で私の自転車を使って遊んでいるのを発見し、即帰宅し母に泣きついたことがある。母と兄、私の3人で現場に挑んだのだが、母は地域関係を持っていて迂闊な対応ができない。優しく子供達を諭し取り戻したのだが、一緒に使われていた自転車のカゴに入れておいた兄のボールを、兄は自ら叩き奪って一瞥していた。静かにブチ切れていたのである。兄の本意はボールの奪還だったかもしれない。しかし、当時既に別居し不在になった父の代わりに強気に対応した兄の姿は、お気に入りで新品未使用の自転車を好きにされてしまった私にとってヒーローのようだった。

 


いつから、なんて考えても思い出せないほど前から、兄は私を嫌っている。思春期にしては時期が早いし、決定的なアクシデントも、少なくとも私視点ではなかった。兄は、「母は本当の(私)を知らないからそんなことが言えるんだ」と言ったらしい。さっぱり分からない。

 


母と兄は昔から自律神経が優位になることが多かった。興奮すると、家の家具がカクテルように混乱する。罵詈雑言が飛び交い、暴力と落涙の日々だった。決して大言ではない。

家庭教育の賜物として、凶暴性を受け継いだ。されて嫌なことを敢えてしているうちに、染み付いてしまった。そうすることで自衛していたのだと思う。

諦観できたらどれだけ楽だっただろう。だがそんなものを学ぶ環境も特性も持ち合わせていなかったのだ。頼れる場所もなく、帰りたくないと思いながら帰っていたあの頃。

 


無論当時には戻りたくない訳だが、今になって冷静に思い返してみると、兄と私の立場は50%くらいの割合で重なっていたのではないかと思えてくる。

私からすれば怪獣人間2人と同居しているようなものだったが、兄ももしかすると女怪獣人間2人から自分を守っていたのかもしれない。

それはそれは、大変なことだったろう。退屈で、煩わしくて、なにより寂しかったろう。許容と尊厳が著しく乏しい家庭だったから。

同じ家庭内で吸収する主たる事柄の違いは些末なもので、私がお腹や頭に蹴りを喰らい、おでこに4本の引っ掻き傷を作ったように、彼も、罵られ喚かれたあの頃を苦い記憶として消化できずにいる。みんな傷ついていた。

 


正直、兄が怖い。負けないようにしてきたが、やはり力で勝るのはいつも兄。いつからか脅威に変わった。

しかし、怖いのはそのことだけではない。本当はずっと敬愛している。故に期待してしまうのだ。次は優しくしてくれるかもしれない、笑ってくれるかもしれない、と。案の定怖い結果になるのだが。

 


私の元恋人には共通点がある。身長と鼻が高く馬顔、指が綺麗なことで、これは兄にも該当するのだ。従兄弟の女の子が幼少期に「(兄)くんと結婚する」と言ったのを聞いて、素直に好意を伝えられることを羨ましく思った。

私はパパっ子だったのだが、大好きなまま心の準備もなく別離したために、兄を父の代用としてしまったのか。

女の子は父の面影に似たパートナーを選ぶというし、私は父の面影から兄の面影へと対象を移し、兄本人はそんな私に気づき異物感が芽生えた?

 


分からない。何も分からないが、ただ1つ分かることは、彼は長い年月をかけて、私への嫌悪を募らせている。

 

宝、RADWIMPS

一言に「歌」と言っても、その色や形は様々である。

ジャンル、テーマ、文化、、、

私がよく聴く音楽は専らロックだ。アーティストの形態にそれぞれ味があるから良い。

売り出し始めたインディーズバンドやシンガーソングライターの歌詞や雰囲気など、音楽から感じられる製作側の人間味が好き。これは創作物において共通している。

 

自分で「完成」と首を縦に振れる物を作り上げたものは何にフォーカスしたものでも、全てにおいて素晴らしいと感じるが、もちろん好みはある。まずは、好みのものから注目する。

音楽でいえば、日本語を丁寧に使っていること。あと根性論で押し通さないこと。

 

まず最初に、私は日本を愛している。他国と比較して好きということではなく、単純に今生きているこの地が好き。この地から広がっているこの島が好きで、この島で生きた、生きる、生き物が好きなのだ。

だから文化や習性、歴史といったこの日本で生きた人らが積み上げてきた事実をまるっと愛している。その代表格の一つが「日本語」であり、この言語を母国語とするのは日本だけだから、特別大事にしたい。(結構日本語ヘタ)

 

次に、人は生きていて抱く感情は綺麗で単純なものばかりではないはず。喜んでいるのに悔しかったり、怒っているのに罪悪感があったり、悲しいのにどうでもよかったり。

そういう一言では理解してもらえない感情が端々から静かにひょっこりと顔を出すような歌詞を、彼は書く。

RADWIMPS 野田洋次郎氏は書いたのだ。

 

さらに言うと、ブレスのタイミングでも各々の曲に味を出している。と思う。。。

 

少女時代より、寄り道してはRADWIMPSへ戻ってくるというサイクルを続けている、というか続いている。

 

漠然と気に入っていたものたちの形がどんどん見えてきたような気がして、年々深みに嵌っているのを自負している。

 

カラオケでノリノリで歌っていたのに意味を知ってからは声が詰まってしまう曲とか全然あります。

 

?・・・・ん、?・・・お〜、はは、深。

 

って感じになった歌が増えた。

あれ、私あんま理解してない?

 

RADWIMPSの魅力をお伝えしたかったのですが、無理でした。

少しでも興味のある方、歌詞を目で追いながら聴いてみてくれたら嬉しいです。

『すずめの戸締まり』の主題歌、挿入歌、素敵ですよね。

あ、最近「人間ごっこ」が出ましたね。

 

是非。

Oct. 27. Thursday

明日早くからの新任研修に備え今日は前泊ということで、群馬県水上町の「やませみ荘」へ来ている。

街外れの上牧駅という駅から徒歩18分。盆地ならではのくねくねした一本道と端々から聞こえる水の音と、これはどこも同じではないかもしれないが鷺と猫。やけに広いセブンイレブンの駐車場とか、緑に包まれた廃屋とか、もう、とにかく良い。視界が広がった。

ちなみに最寄りのコンビニは徒歩24分。大きな川(利根川)を挟んでいるので橋を渡る必要があるのだが、橋が少なすぎてコの字に大回りしなくてはならない。ここに住んだら痩せられそう。

お隣さんは隣接されていないことが多く、各々広い土地を悠々と使っている。かくいう私も群馬県の田舎出身だが、恐れ入った。

上牧駅に到着した時は全体的に薄い雲がかかっていたが、17時現在は風が運んで行ってくれたようで青空を見ることができる。暗くなったら星が綺麗に見えるといいな。

June. 12. Wednesday

この虚無感をどう言葉にすればいいんだろう。

結局自分は自分でしかなくて、誰かと人生を交換することはできない。他人は他人で、みんなそれぞれの想いがあって、その中でもやらなくてはいけないことを毎日こなして、社会が成立している。

この人になりたいとかは思わないし、自分の人生の営みを止めたいわけでもない。

ただ、先が見えない。緊迫的にどうにかしなくてはと思っているわけではないけれど、漠然と1ヶ月先、1年先ですら見通しがつかない。目標はこれと言ってない。

私はなんのために生きているんだろう。この世界にある日放り出されて、時間に従うたまここまできた。これからは自分自身で未来をある程度定めることができる。だからこそ分からない。私はこれからいかにして毎日を過ごし、どこに幸せを感じて不幸を感じるのだろう。考えても未来など分からないことは解っている。そんな当たり前のこと、心の底から納得している。でも焦る。

これといって得意なものも持ち合わせていないし、美人でもないし、自信もない。

自信のある人は魅力的だから、自分もそうになりたくて姿勢を良くすることから小さい事を普段から心がけている。

 

一時期BTSにハマった。テテが推しだった。今ではたまに音楽を聴くくらいだが、彼もまた自分で道を切り開き、今や韓国を誇るトップアイドルにまで上り詰めた。比べて私は、何に対しても臆病ゆえに挑戦できず、ただ漠然と未来に期待するだけ。これでいいのかな。世の大人はどう生きているのだろう。

社会人になり、責任を直に伴う立場になってからというもの、感情をどこまで他人に晒していいか分からなくなった。泣けなくなった。

情けない。悔しい。もっと自信が欲しい。余計なプライドを捨てたい。先が真っ暗な気がして怖い。

 

『20代で得た知見』

この期間を無駄にしないよう、避けて通ってきた本を読み始めました。避けていた理由としては、大人の言う「本を読めば世界が広がる」というのは頭が良くなるとか、将来的に有益な情報だとか、結局はそういうお堅いものでしょ、とつっぱねてきたからです。結果、文章を読むことが苦手で、一行読んで再び同じ行を読み返してしまいなかなか内容が進みません。つまらない、それなら今まで通り私の好きな表情やコマ割りから雰囲気を読み取るタイプの漫画を読む方が没頭できる。漫画の作者の文字から、そのページを作成した時の時間のなさや繊細さなどが垣間見えることにも面白みがあります。しかし、ある日Instagramで私がフォローしている女の子が「この本は好きです。20代の今読んでよかった」とストーリーで紹介した本に興味が湧きました。

『20代で得た知見』は今だいぶセラーになっているようで、自信が権化したような文章を読むのを好まない私が果たしてどこまで読めるのか、自身に対する挑戦でもありました。

30代に突入した男性が、20代で感じ、聞き、学んだ事を記した本でした。この作者は、なんというか、ほんのちょっと矛盾したことを言います。根っこから捻くれ腐っている私には非常に読み取りやすく、芯を突かれて恥ずかしくなる場面もありました。でも、これでいいんだ、この立場ならこう考えればより可能性が広がるんだと、まだ半分しか読んでいなくても溢れるほどの救いを頂きました。

諦めるなとは、耳が腐るほど言われてきました。いくら練習を重ね勝とうと、自分に自信が持てず、部活動現役時代なんか特に、言われれば言われるほどこなすことに専念するようになりました。数学も科学もExcelも好きではないですが、諦めようなどと思ったことはありません。ただ、私にはこれ以外のもので武器を作りたい。それでも逃げと捉えられる環境でした。

継続は力なり。こんな格言がありますが、まさにその通りだと思います。しかしこれは継続した道が自分に合っている人に限る、そんなことを作者のFさんは綴っています。様々なものに触れ、自分にあった道を探し当てるために合わないと思った道を閉ざすというのも1手段ということです。私はこれがやりたい。きっと労力時間金銭は掛かりますが、道を歩み始めた時の楽しさには代えられないと思うからです。

 

つまり何が言いたいかというと、最近進路について大変悩んでいる友人にこの本を贈りたいです。

水の魅力

私たちが普段、何気なく、必ず触れる、水。
おいしくて、変形自在で、ホッとさせてくれるが時に脅威的。

今私の隣にある小さなコップの中にいるこいつが人間の故郷と思うと、何とも言えない気持ちになります。

この世を創造されたのは神だというお話がありますが、水こそ神なのでは、とも思えてきます。だって、魔法なんて使わなくても何でもできるから。

 

生物のような上下関係もなく、必要書類もいらない。年齢や性別もないから差別・偏見など存在しない。みんな1つになれるから、けんかもない。
病んではいません。病みたがりです。

 

水は水素原子2個と酸素原子からできていると記憶しているのですが、元素の単体の性質を受け継がないって、冷静に考えてもすごいと思うんです。語彙力が乏しいのですごいとしか表わせませんが、とにかくすごいんです。


化合物がそうであるように、絵具も知識がないと、何色と何色が混ざっているか判断できません。小学生のころ、緑色は何色が混ざっているのか何度聞いても理解できませんでした。

え、絵具の色の変化ってそういうこと…?

 

水と油って言葉がありますが、油も水素と酸素含んでいるのに、どこでこうなってしまったんだろう。

新たに含む物質によって性質自体が姿を変えるのは、人間だけではないということですね。

 

 

Feb. 9. 2021今思うこと

お題「#この1年の変化

 

多彩かつ無色の年。

 

インフルエンザから回復したら部活の練習予定が無くなっていた。

スポーツ人生最後の大会が潰れ、全日リベンジの夢も儚く散る。

全面オンライン授業方式になり超ハッピー。

引き籠りと化し、アマプラ無双。

人生の方向性が決まり、社会に認められなければならないという責任感と不安感を持つ。

地元の友人とまたしばらく会えないことに泣く。

韓国語を学び始めたものの、ノート3ページで飽きる。

「もうコロナやだ~、仕事は忙しいし茶封筒はオタクになるし~」と母の嘆きを聞く。

ひたすら友人と遊ぼって言い合う。

太る。

 

1年間、ざっとこんな感じでした。

記憶に残るような、残らないような。

マスクの時代になって、もう1年が経つのか。この期間をもっと有意義に使えたのではないか、ふとそんな気持ちになり、これからを考えると怖くなります。

 

少し前、医療時従事者の友人がこう言っていました。

「『医療従事者の皆さん、ありがとうございます。』とかって言葉をよく耳にするようになったけど、それは勿論そうなんだけど、医療面以外で闘っている人もたくさんいるわけで、この情勢の中暮らせているのはそのおかげであって。だから、その言葉だけ先駆してほしくない。」

コロナ病棟を持ち、大変な仕事を目の前にしてもなお、取り囲む人々に思いをやれる彼女を、素敵だと思ったし、尊敬しています。

 

何故かはわかりませんが、私の友人はかわいくて、聡明で、上品で、素敵で、尊敬に値します。全員です。

来世ではこの人らと結婚します。ハッピーウェディング!

 

 

話題が分岐に分岐を重ね、葉が生い茂り、蕾はやがて花開き、美しきかな大樹となりました。